六義園(りくぎえん)
この時期檜が大嫌いな売買部の齋藤です。
本当にごめんなさい。許して下さい、何でもしますからと懇願する位檜花粉にやられてます。
でもっ!
この時期色んな花が咲いて、気持ちが良いですねー。
…花粉が無ければもっといい季節なのに。
って事で先日行ってきました六義園。
いーですねー。日本庭園。
癒やされます。
六義園は躑躅が有名ですが、庭園自体もしっかり整備されていていつの季節でも楽しませてくれます。
場所は都内になりますが、JR駒込駅から徒歩で正門迄は7分位ですが、染井門が開いてる時は徒歩3分以内で行けるのでふらりと立ち寄るには便利です。
【六義園は、徳川五代将軍・徳川綱吉の側用人・柳沢吉保が、自らの下屋敷として造営した大名庭園である。1695年(元禄8年)に加賀藩の旧下屋敷跡地を綱吉から拝領した柳沢は、約2万7千坪の平坦な土地に土を盛って丘を築き、千川上水を引いて池を掘り、7年の歳月をかけて起伏のある景観をもつ回遊式築山泉水庭園を現出させた。
「六義園」の名称は、紀貫之が『古今和歌集』の序文に書いた「六義」(むくさ)という和歌の六つの基調を表す語に由来する[1]。六義園は自らも和歌に造詣が深かった柳沢が、この「六義」を『古今和歌集』にある和歌が詠うままに庭園として再現しようとしたもので、紀州の和歌浦を中心とした美しい歌枕の風景を写して、庭園を造ろうと思い立った。[2]その設計は柳沢本人によるものと伝えられている。
1702年(元禄15年)に庭園と下屋敷が一通り完成すると、以後将軍綱吉のお成りが頻繁に行われるようになる。その回数は記録されているものだけでも実に58回もあり、吉保の寵臣ぶりもさることながら、この庭園自体が当時にあっても天下一品のものと評価されていたことが窺える[3]。
甲斐国・甲府藩主であった柳沢家は、吉保子息の吉里期の享保9年(1724年)に大和郡山に転封となるが、六義園は柳沢家の下屋敷として幕末まで使用された。時代が下るにつれ徐々に荒れはしたものの、江戸を襲った度々の火災で類焼することもなく明治を迎えた。
明治の初年には三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎が六義園を購入、維新後荒れたままになっていた庭園に整備が施され、このとき周囲が今日見る赤煉瓦の塀で囲まれた。その後は関東大震災による被害もほとんど受けず、1938年(昭和13年)には東京市に寄贈され、以後一般公開されるようになった(有料)。東京大空襲の被害を受けることもなく、造園時の面影を残したまま今日に生き延びた六義園は、1953年(昭和28年)に特別名勝に指定されている。】 ウィキペディアより抜粋
調べてみたら思った以上に歴史があった…。
もう300年以上で東京大空襲や関東大震災でも被害がほとんど無いとか、何かに守られてるんですかね??
枝垂桜。
みんな楽しんでますねー。
満開でした。
ぶわわー
枝垂桜看板
へー!
六義館跡
心泉跡
心の泉…枯れかけ??
岩のようですが、『蓬莱島』
島のようです。
吟花亭跡
池の岩の上に亀。
いっぱい亀。
ひなたぼっこか暫く見てても動きませんでした。
藤代峠。
高台からの景色と奥にあるビル群がとっても良い感じ。
都会の中に緑が残っている風景…いいですねー!
どんな仕事もそうですが、神経を使い過ぎると疲弊してきます。
緑の中を散歩すると癒やされますのでたまには運動がてら歩いてみるのもオススメです。
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